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「道の駅いたこ」「新鮮市場」「伊太郎」「リニューアルオープン」(潮来市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「潮来市」「道の駅いたこ」「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」のリニューアルオープンです。

 「潮来市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から80km圏に位置しています。
 「潮来市」は、「西」に「霞ヶ浦(カスミガウラ)」・「常陸利根川」、「東」に「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「南」に「外浪逆浦(ソトナサカウラ)」(2011年1月30日のブログ参照)と「水辺」に囲まれ、「潮来市内」の中心にも「前川」が流れ、「潮来市」全体が、「水郷地帯」となっています。
 「潮来市」の「南部」は、「田園地帯」が広がり、「米栽培」が盛んに行われ、「市」の「北部」は「台地」が広がり、「ゴルフ場」や「緑地公園」が多く見られます。

 「潮来市」は、上記のように「霞ヶ浦」や「北浦」、「常陸利根川」などに面した「水郷」で有名な「都市」で、江戸時代に「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「水運」の「港町」として栄え、現在は「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「一角」となっています。
 「潮来市」は、「前川あやめ園」(現・水郷潮来あやめ園)(2012年5月13日のブログ参照)を中心とした「アヤメ」(2011年5月27日のブログ参照)の「名所」や「川」を巡る「十二橋巡り」(2012年5月26日のブログ参照)といった「水郷特有」の「観光名所」を有し、他の「産業」では、「米栽培」を中心とした「農業」が盛んに営まれています。
 「潮来市」は、2001年(平成13年)4月1日に「行方郡」「潮来町」が「牛堀町」を編入し、「市制施行」をしており、また「潮来市」は、「鹿嶋市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」とともに、「Jリーグ」・「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。

 「道の駅いたこ」(2013年6月16日のブログ参照)は、「茨城県」「潮来市」の「一般県道101号線潮来佐原線」上にある「人気」の「道の駅」です。
 「道の駅いたこ」は、「東関東自動車道」「潮来IC(イタコインターチェンジ)」「下車」1分、「太平洋」沿いを走る「国道51号線」「沿線」の「観光スポット」への「出発拠点」となっています。
 「道の駅いたこ」は、2001年(平成13年)8月21日に「登録」された「道の駅」で、2002年(平成14年)4月25日に開駅しました。
 「道の駅いたこ」は、「茨城県下」「売上高」「上位」の「道の駅」で、「潮来市」の新たな「情報発信拠点」として「イベント」など様々な「企画」を実行しています。

 「道の駅いたこ」では、「オリジナル」の「イメージキャラクター」「風くん」・「みなもちゃん」・「いたこいぬ」・「いたこねこ」(2013年5月19日のブログ参照)で、「イメージキャラクター」たちは、「施設」をアピールし、「オリジナル商品」の「どら焼き」や「ジェラート」などを、製造・直売しています。
 また「道の駅いたこ」を運営する「第三セクター」の「株式会社いたこ」は、「いたこ市内無料送迎バス」「あやめ号」(運行は委託)を運営しており、「地元住民」のみならず「道の駅いたこ」の「アクセス」として「観光客」にも広く利用されています。

 「道の駅いたこ」の「施設概要」ですが、「敷地面積」約2ha(ヘクタール)、「建設面積」1740平方m、「駐車場台数」は「普通車」266台、「大型車」17台、「身障者用」3台、「営業日」は「年中無休」、「営業時間」ですが、9時00分から19時00分までとなっています。
 「道の駅いたこ」の「各施設」の「概要」ですが、「多目的広場」、「うるおい館」、「情報棟」、「トイレ」となっています。

 「多目的広場」は、500平方mある「施設」で、「施設内容」ですが、「新鮮市場」「伊太郎」、「ひかりの広場」となっています。
 「新鮮市場」「伊太郎」ですが、126平方mある「施設」で、「朝採り新鮮野菜」、「手作り加工品」、「魚肉加工品」類の「販売」をしています。
 「ひかりの広場」ですが、539平方mある「施設」で、「高さ」13mの「ピラミッド型屋根」が「シンボル」となっており、「集客」・「販促イベント」が「地域交流」の「拠点」となっています。

 「うるおい館」ですが、690平方mの「施設」で、「総合案内」、「いたこショップ」(アンテナショップ)、「キャラクター・コーナー」、「虹工房」、「潮来こめ自慢」「おふくろ亭」、「ハーブ&フラワーショップ」となっています。
 「総合案内」ですが、「地域」や「観光案内」のほか「ギャラリー」としても利用されています。
 「いたこショップ」(アンテナショップ)ですが、「潮来市」のみならず「茨城県内」の「物産販売」、「催事スペース」には、「ホット」な「商品」をそろえています。
 「キャラクター・コーナー」ですが、上記の「道の駅いたこ」の「オリジナルキャラクター商品」の「開発」および「販売」を行っています。
 「虹工房」ですが、455平方mの「施設」で、新鮮な「アイスクリーム」や「ヨーグルト」、「地元産」の「お米」を「原料」とした「おにぎり」、「お菓子」、「米関連商品」などの「開発」および「販売」を行っています。
 「潮来こめ自慢」「おふくろ亭」ですが、236平方mの「施設」で、「潮来」の「特産品」、「農産品」を活かした「料理」を提供する「おふくろ食堂」となっています。
 「ハーブ&フラワーショップ」ですが、165平方mの「施設」で、「ハーブ」を中心に「関連グッズ」や「地域」の「花木」の「販売」、「ガーデニング」の「指導」などを行っています。

 「情報棟」ですが、97平方mの「施設」で、「大型ディスプレイ」や「情報機器」を利用して、「潮来市」だけではなく「茨城県内」の様々な「観光・物産情報」や「高速道路渋滞情報」、「道路情報」等を提供しています。

 この度(タビ)「道の駅いたこ」では、「リニューアルオープン」に伴い、移転営業されていた「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」が4月27日(木)より再開することなりました。
 「道の駅いたこ」では、「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」の「リニューアル工事」に伴い、「売場」を移動し営業を行っていましたが、「移設」、「新築工事」に際し、一時的に「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」のみ4月24日(月)から26日(水)の期間休業されていました。
 そして、「新設工事」(新築工事)も完了し「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」は、4月27日(木)に待望の「リニューアルオープン」となったそうです。
 「リニューアルオープン」となった「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」ですが、広々とした「店内」に変わり、「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」には、「潮来市」の「地場農産物」をはじめ、「旬」の「新鮮」な「農産物」が勢揃いし、「手作り」の「お総菜」や、「おもち」、「佃煮」等の「水産加工品」も豊富に揃っているそうです。

 「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」の「リニューアルオープン」に伴い、「道の駅いたこ」では、4月27日(木)に「リニューアルオープンイベント」を開催するそうです。
 「リニューアルオープンイベント」ですが、下記の通りとなっています。

 「リニューアルオープンイベント」詳細

 開催日時 4月27日(木) 10時〜

 イベント内容

 イベント1

 名入れボールペン無料プレゼント

 来場者先着500名様にリニューアル記念名入れボールペンをプレゼント

 イベント2

 野菜の詰め放題サービス

 オープン当日新鮮市場「伊太郎」で2000円以上お買い上げのお客様にご参加頂きます。
 レシートを係員に見せてご参加ください。
 野菜がなくなり次第終了となります。
 じゃがいも・にんじん・玉ねぎ・ピーマン・さつまいもの5種類が詰められます。

 「茨城県下」「売上上位」の「人気」の「道の駅」「道の駅いたこ」でリニューアルオープンする「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」。
 この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「道の駅いたこ」「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」詳細

 所在地  道の駅いたこ 農産物直売所 新鮮市場伊太郎 茨城県潮来市前川1326番地1

 問合わせ 道の駅いたこ 0299-67-1161

 備考
 「道の駅いたこ」ですが、「新築工事」(新設工事)に伴い「農産物直売所」「新鮮市場」「伊太郎」は、一時休業したそうですが、「お土産売場」・「レストラン」は通常通り営業していたそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3411 |
| 地域情報::鹿島 | 10:21 AM |
「第26回かしま桜まつり」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島城山公園」で3月31日(金)〜4月10日(月)の期間開催されます「第26回かしま桜まつり」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」です。
 「鹿嶋市」は、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」「平井海水浴場」(2016年3月22日のブログ参照)、「下津海水浴場(オリツカイスイヨクジョウ)」(2016年3月22日のブログ参照)があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川(ワニガワ)」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(いたこインターチェンジ)(潮来市内)」)の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」等)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、67776人(男35072人、女32704人)で、「世帯数」27794世帯となっています。
 (平成29年(2017年)3月1日現在)
 「鹿嶋市」の「沿革」は、下記の通りです。

 「市制施行以前」

 1871年(明治4年)12月25日 (明治4年11月14日)廃藩置県により新治県に編入。

 1875年(明治8年)5月7日 新治県が分割され、茨城県に編入。

 1953年(昭和28年)5月18日 国道123号線(現在の国道51号線)と、国道124号線が制定。

 1970年(昭和45年)8月20日 鹿島線(鹿島神宮駅〜香取駅間)が開業。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が開業。

 1993年(平成5年)3月26日 茨城県立カシマサッカースタジアムが竣工。

 「市制施行以後」

 1995年(平成7年)9月1日 鹿島町が大野村を編入、市制施行し、鹿嶋市誕生。

 2002年(平成14年)   2002FIFAワールドカップをカシマサッカースタジアムにて開催。

 2005年(平成17年)   市制施行10周年。

 2015年(平成27年)   市制施行20周年。

 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」の「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 上記のように「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、一昨年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、各種「記念行事」が催行されました。

 「鹿島城山公園」ですが、「茨城県」「鹿嶋市」「城山」にある「公園」です。
 「鹿島城山公園」は、12世紀末に、「常陸平氏」の「鹿島政幹」氏が、現在の「鹿島城山公園」に、「鹿島城」(常陸国)(「別名」・「吉岡城」)を築いていたそうです。
 「鹿島城」ですが、鎌倉時代から室町時代までの約400年間、「鹿島氏」の「居城」であり、明治維新に至るまで「鹿島氏」の「居城」でしたが、近代になり「鹿島氏」により、「鹿島城」が「鹿嶋市」に寄付され、「鹿島城」「本丸跡」が、「鹿島城山公園」となりました。
 「鹿島城山公園」は、「鹿島城址」の「公園」として整備されており、現在は「鹿嶋市民」の「憩いの場」となっており、「鹿島城山公園」からは、「北浦」や「筑波山」を望むことができます。
 「鹿島城山公園」ですが、「春」には「桜」や「山つつじ」が咲き、「鹿嶋市内」の「桜の名所」として知られており、「鹿島城山公園」では、毎年「かしま桜まつり」(2016年3月25日・2015年3月25日・2014年3月24日・2013年3月27日・2012年3月27日のブログ参照)が開催されています。
 「鹿島城山公園」「内部」や「周辺」には、「鹿島城」の「遺構」が少し残っており、往時を偲ばせており、中世の「常陸平氏城郭」の「モデル」のひとつとなっています。

 「鹿嶋市」では、上記のように「鹿島城山公園」を「会場」にして「かしま桜まつり」が行われており、「かしま桜まつり」ですが、今年(2017年)で「26回目」を迎える「イベント」となっています。
 「かしま桜まつり」では、「鹿嶋地域内」で、最も素晴らしい「桜観賞スポット」「鹿島城山公園」に咲き誇る350本の「ソメイヨシノ」のほか、「しだれ桜」や、「早咲き」で「有名」な「河津桜」、「八重桜」を愛でることができ、美しい「桜の花」を楽しみに「大勢」の「行楽客」、「花見客」、「観光客」の「皆さん」が訪れています。
 また「かしま桜まつり」では、「会場」の「鹿島城山公園」を「夜」も明るく「ライトアップ」し、「夜桜」も楽しみいただけるようにしているそうです。

 「第26回かしま桜まつり」ですが、3月31日(金)から4月10日(月)までの「期間」、「標高」25mほどの「高台」から「眼下」に「北浦」を望む「鹿嶋市民」の「憩いの場」であり、「鹿嶋市」の「桜の名所」「鹿島城山公園」を「会場」に開催される「イベント」です。
 「第26回かしま桜まつり」では、「期間中」「ライトアップ」が「夜」9時00分(21時00分)まで行われ、「昼間」(日中)の「桜」とは違う「顔」の「桜」が観られる「夜桜見物」ができるようになっています。
 (「第26回かしま桜まつり」「ライトアップ」は「天候」により「中止」になる場合もあるそうです。)
 また「第26回かしま桜まつり」「期間中」には、「鹿島城山公園」「園内」にて、「テント販売」も行われ、「飲食」も楽しめ、「お花見」ができるそうです。
 「第26回かしま桜まつり」「期間中」には、「イベント」が行われ、「イベント内容」ですが、「鹿嶋市民音頭踊りの披露」、「大正琴の演奏」、「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」となっています。

 「鹿嶋市民音頭踊りの披露」ですが、「第26回かしま桜まつり」「期間中」の4月1日(土)に行われる「イベント」です。
 「鹿嶋市民音頭踊りの披露」の「開催時間」ですが、4月1日(土)10時30分からと、11時30分からの1日2回開催され、「参加費」「無料」で行われます。
 「鹿嶋市民音頭踊りの披露」ですが、「雨天」の場合は「中止」となっています。

 「大正琴の演奏」ですが、「第26回かしま桜まつり」「期間中」4月8日(土)に開催される「イベント」です。
 「大正琴の演奏」ですが、4月8日(土)10時00分からと11時00分からの1日2回行われ、「満開」の「鹿島城山公園」の「桜」を観ながら、「大正琴」の「調べ」を堪能できる「イベント」となっており、「大正琴の演奏」ですが、「雨天」の場合は「中止」となるそうです。

 「桜ウォーク鹿嶋神の道」ですが、「第26回かしま桜まつり」「期間中」の4月8日(土)に開催される「ウォーキングイベント」です。
 今年(2017年)で3回目を数える「桜ウォーク鹿嶋神の道」ですが、今年から「桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」と題し開催されます。
 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」ですが、4月8日(土)9時30分から行われ、「受付場所」ですが、「卜伝にぎわい広場」(大町通り)となっており、9時00分から「受付」となっています。
 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」の「コース」ですが、「歴史」と「伝統」ある「文化財」や、「鹿島三社」(鹿島神宮、坂戸神社、沼尾神社)を巡る「鹿嶋神の道」(約15km)となっているそうです。
 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」の「参加費」ですが、1000円となっており、「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」を参加される方は「オリジナル弁当」がついており、「粗品」が進呈されるそうです。
 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」の「申し込み」ですが、「鹿嶋神の道コース」に「参加希望」の方は、4月4日(火)までに「電話」または「ファックス」(「桜ウォーク申し込み」と題し、住所、氏名、年齢、電話番号を記入)で、下記に申し込みとなっています。

 問合わせ 鹿嶋人ギャラリー内「鹿嶋神の道運営委員会事務局」 FAX 0299-77-8878
      鹿嶋市まちづくり推進課 TEL 0299-82-2911
      FAX 0299-82-2915

 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」ですが、「荒天」の場合は、「中止」となっています。
 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」に参加される方は、「帽子」、「タオル」、「飲み物」、「着替え」などを用意し、動きやすい「服装」での「参加」を呼びかけています。

 「第26回かしま桜まつり」では、「注意事項」が示されており、下記の通りとなっています。

 会場内では防災及び樹木の保護のため火気厳禁となっております。
 カセットコンロ、炭などを使ったバーベキューや調理行為も禁止となります。

 ごみのお持ち帰りにご協力ください。

 「鹿嶋市民」の「憩いの場」であり「鹿嶋一」の「桜の名所」「鹿島城山公園」で開催される「恒例イベント」「第26回かしま桜まつり」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第26回かしま桜まつり」詳細

 開催期間 3月31日(金)〜4月10日(月)

 開催会場 鹿島城山公園 茨城県鹿嶋市城山

 問合わせ 鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「第26回かしま桜まつり」では、「駐車場」が少ないため、「乗り合い」や「徒歩」・「公共交通機関」を利用した「来場」を呼びかけています。
 「第3回桜ウォーク鹿嶋神の道・三社詣り」で巡る「鹿嶋神の道」ですが、平成27年(2015年)9月に「新日本歩く道紀行100選・文化の道」に認定されており、平成29年(2017年)2月に「国土交通大臣表彰」「手づくり郷土賞」(一般部門)を受賞しています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3360 |
| 地域情報::鹿島 | 12:55 PM |
「第33回水郷潮来桜まつり」(潮来市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「潮来市」「水郷潮来権現山公園」、「水郷潮来あやめ園」で3月26日(日)〜4月9日(日)の期間開催されます「第33回水郷潮来桜まつり」です。

 「潮来市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から80km圏に位置しています。
 「潮来市」は、「西」に「霞ヶ浦(カスミガウラ)」・「常陸利根川」、「東」に「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「南」に「外浪逆浦(ソトナサカウラ)」(2011年1月30日のブログ参照)と「水辺」に囲まれ、「潮来市内」の中心にも「前川」が流れ、「潮来市」全体が、「水郷地帯」となっています。
 「潮来市」の「南部」は、「田園地帯」が広がり、「米栽培」が盛んに行われ、「市」の「北部」は「台地」が広がり、「ゴルフ場」や「緑地公園」が多く見られます。

 「潮来市」は、上記のように「霞ヶ浦」や「北浦」、「常陸利根川」等に面した「水郷」で「有名」な「都市」で、江戸時代に「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)「水運」の「港町」として栄え、現在は「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)の「一角」となっています。
 「潮来市」は、「前川あやめ園」(現・水郷潮来あやめ園)(2012年5月13日のブログ参照)を中心とした「アヤメ」(2011年5月27日のブログ参照)の「名所」や「川」を巡る「十二橋巡り」(2012年5月26日のブログ参照)といった「水郷特有」の「観光名所」を有し、他の「産業」では、「米栽培」を中心とした「農業」が盛んに営まれています。
 「潮来市」は、2001年(平成13年)4月1日に「行方郡」「潮来町」が「牛堀町」を編入し、「市制施行」をしており、また「潮来市」は、「鹿嶋市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」とともに、「Jリーグ」・「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」となっています。

 江戸時代、「荒川」の「氾濫」を納めるための「治水事業」と、「仙台藩」「伊達政宗」の「侵攻」を防ぐため、「徳川家康」の「命」により行われていた「利根川」の「東遷」は、「江戸」に通じていた「利根川」を、現在の「銚子市」へと抜ける「川」へと、「通水路」が変更されたそうです。
 「利根川」の「東遷」によって、「潮来」は「水運」の「要所」として一気に栄えることとなったそうです。
 「水郷」の「商都」として発展した「水郷潮来」では、「荷物」の「積み下ろし」をする「河岸(カシ)」が発達し、その「河岸」を作るために「運河」が発達し、その「運河」を渡るための「橋」がかかり、いまでは「川」を「舟」で巡りながら楽しむ「十二橋めぐり」が「名物」となっているそうです。

 「水郷潮来権現山公園」は、「茨城県」「潮来市」にある「公園」で、「権現山公園」内にある「展望台」からは、「北利根川」沿いに広がる「水郷地帯」や、「霞ヶ浦(カスミガウラ)」、「筑波山」を一望することができます。
 また「水郷潮来権現山公園」では、「天候」が良い場合は、「富士山」を望むことができるため、「関東の富士見百景」に選定されています。
 上記のように「水郷潮来権現山公園」では、「筑波山」と「富士山」が同時に見ることができ、さらに「権現山公園」は「綺麗な夕陽」を観ることができる「絶好」の「ビューポイント」として知られています。

 「水郷潮来権現山公園」は、江戸後期に活躍した「浮世絵師」である「葛飾北斎」が「日本全国」を歩き回って、「富岳三十六景」を描き残した際、「権現山」で「葛飾北斎」が「常州牛堀」を描いた「場所」といわれています。

 「水郷潮来権現山公園」「看板説明文」には、「牛堀町権現山公園」「権現山公園の歴史」とあり、下記のように記されています。

 ここ「権現山公園」は、「牛堀」が「水運の要」としてにぎわった江戸時代も「水運の街並み」を見下ろし、その美しい「風景」に「人々」は魅了されてきました。
 かの「葛飾北斎」もここを訪れ、「富岳三十六景」の中で「常州牛堀」という「絵」は、「権現山」から見たかつての「水運牛堀」を現代に伝えています。
 また、「詩人」「月村」は

 「右は富士、左は筑波、ここは花」

 という「詩」を詠んでおり、「水郷」の「風景」と「四季折々」の「花々」は、古くから「人々」をひきつけたことをうかがい知ることができます。
 現代でも晴天の日には「筑波山」、「富士山」を同時に見渡すことができ、この「権現山公園」の「風景」は、「茨城百景」にも選ばれました。
 (以下略)

 「前川あやめ園」(2012年5月13日のブログ参照)こと「水郷潮来あやめ園」は、「茨城県」「潮来市」にある「公園」で、毎年6月に行われる「水郷潮来あやめまつり大会」(2016年5月28日・2015年3月26日・2014年5月21日・2013年5月14日・2012年5月14日・2011年5月24日のブログ参照)の「メイン会場」の「あやめ園」となっており、1976年(昭和51年)4月に開園しました。
 「水郷潮来あやめ園」「園内」には、「何種類」もの「アヤメ」(花菖蒲)(2011年5月27日のブログ参照)が植えられており、「見頃」を迎えると約500種100万株の「白」、「紫」、「黄」の「色とりどり」の「アヤメ」(花菖蒲)が「一面」に咲き誇ります。
 「水郷潮来あやめ園」の「一大イベント」「水郷潮来あやめまつり大会」「期間中」には、「潮来花嫁さん」で「有名」な「嫁入り舟」(2012年6月1日のブログ参照)や「あやめ踊り」、「ろ漕ぎ舟遊覧」等「水郷」ならではの「イベント」が開催されます。
 また「水郷潮来あやめ園」には、「潮来笠記念碑」や「潮来花嫁さん記念碑」が設置されており、そこでは「歌手」の「橋幸夫」さんの「潮来笠」や、「花村菊江」さんの「潮来花嫁さん」の「曲」を聴くことができます。

 「水郷潮来権現山公園桜まつり」(2016年3月21日・2015年3月26日・2014年3月29日・2012年3月26日のブログ参照)ですが、「霞ヶ浦」を一望できる「茨城百景」にも選ばれている「眺望」の良いことで知られる「水郷潮来権現山公園」で開催されている「恒例」の「桜まつり」です。
 「水郷潮来権現山公園桜まつり」の「会場」「権現山公園」は、「ソメイヨシノ」や「八重桜」等250本もの「桜」が咲き誇り、「潮来市」で「一番」の「花見スポット」となっており、例年「水郷潮来権現山公園桜まつり」の「開催時期」になると、「春」を満喫するため、「水郷潮来権現山公園」には、たくさんの「花見客」、「観光客」の「皆さん」が訪れ、賑わうそうです。
 「水郷潮来権現山公園」は、かくれた「花見スポット」として「県外」からも「大勢」の「花見客」が訪れ、「満開」の「桜」は、「松」や「つつじ」等との「コントラスト」を醸し出すそうです。
 また、「水郷潮来権現山公園桜まつり」「開花時期」の「日曜日」には、「イベント」や、「茶会」等が行われ、「桜の木の下」で、「花」も「笑顔」もほころぶそうです。

 この度(タビ)、「潮来市」では、「水郷潮来権現山公園」を「会場」に「恒例」の「水郷潮来権現山公園桜まつり」を開催するそうです。
 今年(2017年)で「33回」を数える「水郷潮来権現山公園桜まつり」ですが、本年より「水郷潮来桜まつり」と「名称」を改め、開催されるそうです。
 「第33回水郷潮来桜まつり」ですが、3月26日(日)から4月9日(日)までの「期間」「権現山公園」を「会場」に開催され、「第33回水郷潮来桜まつり」「期間中」の4月1日(土)、4月2日(日)に「イベント」が開催されます。
 「第33回水郷潮来桜まつり」「イベント」ですが、今回から2会場で開催され、「会場」ですが、「水郷潮来権現山公園」、「水郷潮来あやめ園」となっています。
 「水郷潮来権現山公園」で行われる「第33回水郷潮来桜まつり」「イベント」ですが、4月1日(土)10時00分から15時00分まで開催され、「イベント内容」ですが、「大道芸パフォーマンス」、「手焼きせんべい体験」等、「甘酒」・お茶の「おふるまい」となっています。
 「大道芸パフォーマンス」ですが、10時00分から15時00分まで開催され、「バイオリニスト」、「ジャグラー」、「お笑いものまね芸人」、「DJ」、「いきいきITAKOスポーツクラブ」の「皆さん」による「パフォーマンス」が行われます。
 「大道芸パフォーマンス」の「パフォーマンス」、「出演者」は、下記の通りです。

 大道芸パフォーマンス

 バイオリニスト 西垣恵弾

 ジャグラー つねむね

 お笑いものまね芸人 NOモーション

 DJ DJ.moco

 いきいきITAKOスポーツクラブ 潮娘よさこい連

 「手焼きせんべい体験」等ですが、「潮来市商工会青年部」の「皆さん」による「イベント」で、「次世代せんべい」の「試食」ありとなっています。
 「甘酒・お茶おふるまい」ですが、「潮来市商工会女性部」の「皆さん」による「イベント」で、「無料」で「甘酒」、「お茶」がふるまわれるそうで、「甘酒・お茶おふるまい」ですが、無くなり次第終了となるそうです。

 「水郷潮来あやめ園」で行われる「第33回水郷潮来桜まつり」「イベント」ですが、4月2日(日)10時00分から15時00分まで開催され(一部は4月1日(土)・2日(日)両日開催)、「第33回水郷潮来桜まつり」「イベント内容」ですが、「花見ろ舟運航」、「甘酒おふるまい」等となっています。
 「花見ろ舟運航」ですが、4月1日(土)・2日(日)に開催される「イベント」で、11時00分から15時00分まで行われ、「無料」で運航されるそうです。
 「甘酒おふるまい」ですが、4月2日(日)10時00分から15時00分まで行われ、「甘酒」を「無料」でふるまわれるそうで、無くなり次第終了となるそうです。
 また「水郷潮来あやめ園」で行われる「第33回水郷潮来桜まつり」「イベント」には、「模擬店」・「カラオケ」・「踊り」も開催されるそうです。
 (主催・潮来公民館 0299-62-3522)

 「第33回水郷潮来桜まつり」では、「期間中」の3月26日(日)から4月9日(日)までの「日没後」から、22時00分まで「水郷潮来権現山公園」を「ライトアップ」するそうです。
 また「第33回水郷潮来桜まつり」では、たくさんの方に気持ち良く「お花見」を楽しんでいただくため、「ゴミの持ち帰り」の「ご協力」を呼びかけています。

 「潮来」の「桜の名所」「水郷潮来権現山公園」で開催される「恒例」の「桜イベント」「第33回水郷潮来桜まつり」。
 この機会に「潮来市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第33回水郷潮来桜まつり」詳細

 開催期間 3月26日(日)〜4月9日(日)

 開催会場 水郷潮来権現山公園 茨城県潮来市牛堀174-1
      水郷潮来あやめ園 潮来市あやめ1-5

 問合わせ 水郷潮来観光協会 0299-63-3154

 備考
 「第33回水郷潮来桜まつり」の「イベント」ですが、「雨天」の場合は中止となるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3359 |
| 地域情報::鹿島 | 10:09 PM |
「祭頭祭(サイトウサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」、「仲町通り」、「大町通り」で3月9日(木)に開催されます「祭頭祭(サイトウサイ)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」の「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」の「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシタナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿島神宮」「楼門」は、「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の年にあたり、「神武天皇」は、「東征」の途上における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、「日出づる東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されている他、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」等「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、その他「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に有名で、2014年9月1日(月)には、3日間に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」前日8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 この度(タビ)「鹿島神宮」では、「鹿島地方」に「春」を呼び、「人々」の「健康」や、「豊作」を願い、「祭頭祭」が執り行われます。
 「祭頭祭」は、毎年3月9日「イヤートホヨトホヤァー」の「歌」に合わせて、色鮮やかな「衣裳」を身につけた「囃人」が六尺(180cm)の「樫棒」を組んでは解き、囃しながら「街中」を練り歩く勇壮な「祭り」です。
 「鹿島神宮」の「祭典」「祭頭祭」の「歴史」は古く、その「起源」は「武運長久」を祈って旅立っていった「防人(サキモリ)たち」の「鹿島立ち」の「故事」を表し、奈良時代の「天武朝」という「説」や平安時代ともいわれ、「文献」によると、建仁4年(1204年)とされ、その際には「片野」の「長保寺」と「平井」の「宝持寺」が「祭」の「世話役」を勤めたといわれています。
 「祭頭祭」の「祖形」は、その「囃言葉」からも窺えるように「五穀豊穣」、「天下泰平」を主な「願意」とする「祈年祭」に近く、しかも「地域」に密着した「祭」で、「秋」に行われる「新嘗祭(ニイナメサイ)」(新穀感謝祭、秋祭)と対(ツイ)を成す「春祭」といえる「祭事」だそうです。
 明治時代までの「神仏混淆(コンゴウ)時代」には、2月15日の「釈迦入滅」の「常楽会(ジョウラクエ)」(涅槃会)と習合されていたそうで、その名残から今でも「祭頭祭」の「大総督」を「新発意(シボチ)」と表現しています。
 (「新発意」とは一軍の将として卜定後に選ばれる男児、大総督、小僧さまと呼ばれます)
 「祭頭祭」は、元々は66郷の「氏子」が「南北」に分れ、「左方」・「右方」それぞれが五歳位の「新発意」を中心に行われ、色鮮やかな「祭衣」をまとった「囃人」が手に持った「樫の棒」を組んではほぐしながら「神前」に奉納するそうです。
 「祭頭祭」で「棒」を激しく束ねるように打ち合わせて進む勇壮な様は、その力を凝縮させ「五穀」の「豊穣」と、「弥栄」を願う正に「春の始め」の「鹿島立ち神事」といえるものとなっています。

 また「祭頭祭」の勇壮な「棒祭り」から「いくさの神」として「鹿島神宮」の「御神徳」と重ね「悪路王退治の余風(昔からの風習)」という解釈がされていた時代もあったそうです。
 ちなみに「悪路王」とは、鎌倉時代の「歴史書」「吾妻鏡(アズマカガミ)」などに登場する「悪人」で、「坂上田村麻呂」や「鎮守府将軍・征白羅将軍」であった「利仁将軍」に討伐されています。
 「祭頭祭」は、明治6年(1873年)の「太陽暦」への「移行」によって、それまでの2月の「上(カミ)の申(サル)の日」から現在の3月9日に改められています。
 「祭頭祭」は時代によってそれぞれの「付会」がなされており、「神仏習合」の江戸時代には「新発意」(出立)から「常楽」(彼岸)に至る「常楽会」とされ、明治になってからは「五穀豊穣」を祈る「祈年祭」とされ、昭和初期には当時の「富国強兵」の「流れ」を受けて「防人の祭」とされたそうです。
 いずれも「新たな出立」を意味しており、この「祭り」が「日出づる東」に位置し、「出立・始まり」を司る「鹿島の大神」への「古代信仰」「鹿島立ち」を「淵源」としていることが伺えます。
 上述のように「祭頭祭」は本来、「地元」に密着した「五穀豊穣」、「天下泰平」を祈る「祈年祭」の一種であり、「祭」(祭頭祭)が終わると「鹿行地区(ロッコウチク)」では「農作業」が本格化するそうです。

 「祭頭祭」ですが、朝10時00分から前年の「春季祭」で卜定された「左方」・「右方」両「当番字」の「大総督」が「狩衣装」で「家族」や、「役員」に護られながら「鹿島神宮」「社殿」にあがり、「神事」が執行されます。
 「祭頭祭」のあと、「大総督」や「両字」の「人々」は、「本陣」に定めた「ホテル」等で「休憩」のあと、正午前から「巡行」を始めます。
 「祭頭祭」の「行列」の「先頭」ですが、「囃し人」の一人が、「天下泰平 春季祭」等と書いた「軍配団扇(グンバイウチワ)」を振り回しながら進み、「大総督」が続きます。
 「大総督」は、「甲冑(カッチュウ)」に身を固め、「大黒頭巾(ダイコクズキン)」を被った人に肩車されて巡行します。
 「大総督」に続いて「役員」や「家族」、「神職」が進み、「囃し人」がそれに続き、「総勢」1000人以上(両方)にもなる「大行列」になるそうです。

 「祭頭祭」「囃し人」は、「赤」・「青」・「黄色」等の色とりどりの「衣装」を着て、色鮮やかな「襷(タスキ)」を数本かけ、「キャラクター人形」・「般若(ハンニャ)」・「オカメ・ヒョットコ」の「面」、「鈴」等で飾り付けられています。
 「囃し人」は、10〜20人の「班」に分かれ、「太鼓」を「腰」につけて叩く「人」の周りを囲んで「祭頭祭」を歌いながら「長さ」が六尺(1.8m)の「樫(カシ)の棒」を組んだりほぐしたりします。
 また「各班」には、「企業」等が奉納した「馬簾(バレン)」が煽ります。

 「囃し」が終わると「本陣」で休憩後、「狩衣」の「大総督」や「役員」、「家族」は、18時から「春季祭」に参列し、「春季祭」では来年の「当番字」が卜定(ボクテイ)されます。
 卜定された2字(アザ)は、1年間「祭事」を担当する「神職」である「物申神職」により、

 「来(キタ)る ◯◯年春季祭当番、神慮を以て卜定候字、左方の大頭、大字、・・・。
 右方の大頭、大字・・・。」

 と読み上げられます。

 卜定された「字(アザ)」は、「鹿島神宮」の「大神」により「神」を来臨せしめ、「降神祭」により「鹿島神宮」の「御分霊」を1年間「字」に合祀され、「見そなわし」(神が見守り)、「安寧」(おだやかで平和)と「弥栄」(いよいよの繁栄)をもたらされると伝えられています。
 なお、「祭頭囃子」の「奉納」ですが、この1年の「報祭」(祈願成就のお礼の祭)であるといわれています。

 今年(2017年)の「祭頭祭」の「奉仕字」、「タイムスケジュール」は、下記の通りです。
 (奉仕字は、春季祭・神占により決定)

 平成29年奉仕字

 左方大頭 大字 奥野野郷
 大総督 城之池龍雅
 組数 16組
 人数 500名

 右方大頭 大字 清水郷

 大総督 田中蓮珠
 組数 13組
 人数 270名

 10時00分 祭頭祭

 社殿にて神事が厳粛に斎行されます。

 13時00分頃 出陣式

 本陣より鹿島神宮へ向けて祭頭囃の行列が出発します。

 15時30分 一斉囃し

 鹿島神宮の御神前で一斉囃しを行います。

 18時00分 春季祭

 五穀豊穣、天下泰平の祈りを込めて大豊竹と万灯が砕かれた後、来年の奉仕字が卜定された神職により声高らかに読み上げられます。

 左方

 10時00分 祭頭祭
 12時00分 出陣
 12時10分 仲町通り囃し開始
 13時00分 踊り披露(いきいきサロンひまわり前)
 13時30分 角内・大町通り囃し開始
 14時00分 うちだや着踊り披露
 15時40分 鹿島神宮境内一斉囃し
 18時00分 春季祭

 右方

 10時00分 祭頭祭
 13時00分 出陣 仲町通り囃し開始
 14時00分 踊り披露(いきいきサロンひまわり前)
 14時30分 角内・大町通り囃し開始
 15時00分 うちだや着踊り披露
 16時40分 鹿島神宮境内一斉囃し
 18時00分 春季祭

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」、「仲町通り」、「大町通り」で開催される「鹿島地方」に「春」を呼び、「人々」の「健康」や「豊作」を願って行われる「春の始め」の「鹿島立ち神事」「祭頭祭(サイトウサイ)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「祭頭祭(サイトウサイ)」詳細

 開催日時 3月9日(木) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
      仲町通り、大町通り

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209
      鹿嶋市観光協会 0299-82-7730

 備考
 「祭頭祭」の「開催」に伴い、「鹿島神宮」周辺では「交通規制」が行われますので、ご注意下さい。
 「祭頭祭」ですが、昭和51年(1976年)12月に「文化庁」から「国選定無形民俗文化財」の「指定」を受けています。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3340 |
| 地域情報::鹿島 | 10:59 AM |
「紀元祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「本殿」で2月11日(祝・土)に開催されます「紀元祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「紀元節祭」ですが、「紀元節」が「祭日」とされていたとき、その「当日」、「宮中」の「賢所」、「皇霊殿」、「神殿」で行われた「祭事」で、「紀元節」の「祝宴」も行われ、また、「全国」の「神社」においても行われていたそうです。
 「紀元節祭」は、初めて「紀元節」とされた1873年(明治6年)1月29日に、「宮中」の「皇霊殿」において行われたのが「最初」なのだそうです。
 このときには「皇霊殿」においてのみ「祭祀」が行われ、「賢所」には「便り」の「御拝」が行われただけであったそうで、1914年(大正3年)から、「全国」の「神社」でも「紀元節祭」を行うように定められ、1927年(昭和2年)の「皇室祭祀令」の「一部改正」によって、「賢所」、「皇霊殿」、「神殿」の「宮中三殿」において行われるようになったそうです。

 「紀元節祭」は、「皇室祭祀令」が定める「大祭」のひとつで、「天皇」が「皇族」および「官僚」を率いて親ら「祭典」を行います。
 「天皇」の「出御」は午前9時30分で、「御拝礼御告文」を奏して「入御」。
 ついで「皇后」、「皇太后」の「御拝」、「皇族」の「御拝」があります。
 「参列員」は「文武高官」「有爵者」「優遇者」、「勅任待遇」までの「官僚」で、「正午」から午後3時30分(15時30分)まで、「有資格者」の「参拝」が許されたそうです。
 「当夜」は「賢所御神楽」の「儀」に準じて「皇霊殿」に「御神楽」の「奏楽」があり、このとき「天皇」が「御拝」して、「入御」ののち「神楽」に移り、「天皇」は、「神楽」が終わるまで就寝しなかったそうです。
 「紀元節祭」は、「伊勢神宮」、「官国幣社」以下の「神社」においては、1914年(大正3年)から、「中祭式」で「祭典」が行われました。

 1947年(昭和22年)5月2日の「皇室祭祀令」「廃止」、1948年(昭和23年)7月20日の「休日ニ関スル件」「廃止」を受けて、1949年(昭和24年)以降、「紀元節祭」という「名称」の「宮中祭祀」は行われなくなったそうです。
 ただし、「昭和天皇」は同年より2月11日に「宮中三殿」で「臨時御拝(リンジギョハイ)」という「名目」で「紀元節祭」と同様の「祭祀」を行い、「今上天皇」もこれを継承しており、「橿原神宮」へも「勅使」が派遣され、「御神楽奉納」は「神武天皇祭」(4月3日)に併せて行われています。

 「民間」では、「一部」の「有志」によって「建国祭」等と「名称」を変えて「式典」が行われているそうで、また、1967年(昭和42年)の「建国記念の日」「制定」以降、「全国」の「神社」でも再び「紀元節祭」が行われるようになったそうです。
 「神社本庁」等から「宮中」での「紀元節祭」「復活」の「要求」があるそうですが、「宮内庁」はこれを拒否しているそうです。
 「紀元祭」は、「神武天皇」「建国」の「大業」を仰ぎ、「日本民族」の「自覚」を深め、「皇室」の「隆昌」と「国家」の「安泰」を祈念する「祭祀」です。

 「紀元祭」ですが、「鹿島神宮」で執り行われる「行事」のひとつで、上記のように「日本」の「建国」を祝賀する「祭祀」です。
 「鹿島神宮」では、2月11日(祝・土)に「紀元祭」を執り行っています。
 「鹿島神宮」「紀元祭」は、上記のように「初代」「神武天皇」が「橿原」の「宮」に即位され、「我が国」を始められたことをお称えすると同時に、今後長きにわたって栄えることを祈る「祭典」なのだそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で開催される「新春」に行われる「国」の「始まり」を祝い、「益々」の「発展」を祈願する「祭祀」「紀元祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「紀元祭」詳細

 開催日時 2月11日(祝・土) 10時〜

 開催会場 鹿島神宮 本殿 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「紀元節」は、「古事記」や、「日本書紀」で「日本」の「初代天皇」とされる「神武天皇」の「即位日」をもって定めた「祝日」で、かつての「祝祭日」の中の「四大節」のひとつなのだそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 10:55 AM |
「鹿島神宮」「節分祭」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で2月3日(金)に開催されます「鹿島神宮」「節分祭」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「鹿島神宮」では、今年(2017年)も「節分の日」の2月3日(金)に「年男」・「年女」による「豆まき」が行われます。
 「鹿島神宮」「節分祭」ですが、「鹿島神宮」「本殿」前「特別舞台」で開催され、1回目は15時00分から、2回目は18時00分からの2回「豆まき」が催行されるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」は、「日頃」の「御加護」を「神様」に感謝申し上げ、「災厄」を「積極果敢」に祓い、「強運」や、「福」を招く「繁栄有徳」のめでたい「伝統」の「神事」となっています。
 「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」ですが、「神事」・「追儺(ツイナ)」ののちに行われ、「追儺」では

 「射たりや射たり」

 と叫び、「鏑矢(カブラヤ)」を打ち、「鬼」を払う「所作」をするそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、「鬼」を払った後の「鹿島神宮」「境内」には、「鬼」はいないとされ、「鹿島神宮」「節分祭」「豆まき」では、

 「福は内」

 とだけ「声」をかけるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」では、大きな「掛け声」と共に「神官」や、「年男」・「年女」から「福豆」や、「お菓子」がまかれると、「鹿島神宮」「境内」に集まった多くの「参拝客」は、「ご利益」をあやかろうと手を伸ばし、大きな「歓声」が上がるそうです。
 「鹿島神宮」「節分祭」2回目の「豆まき」には「特別年男」として「有名人」の「参加」も予定されており、「豆」と一緒にまかれる「福分け」では、「豪華」な「福」(景品)がいただけるそうです。
 なお今年(2017年)の「鹿島神宮」「節分祭」の「特別豆まきゲスト」ですが、「かしま大使」である「タレント」の「研ナオコ」さん、「研ナオコ」さんの「息子」「倹太」さん、「研ナオコ」さんの「娘」「ひとみ」さん、「ケンズファミリー」「所属タレント」で「物まね芸人」の「丸山おさむ」さん、「かしま大使」である「相川七瀬」さんが「参加予定」となっているそうです。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」で「盛大」に開催される「恒例」の「節分行事」「節分祭」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島神宮」「節分祭」詳細

 開催日時 2月3日(金) 15時〜、18時〜

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「鹿島神宮」「節分祭」「特別豆まき」には、過去には「サッカー」「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「OB」の「皆さん」の「参加」や、「角界」(大相撲力士)から参加される「方」もいらっしゃったそうです。
 なお、「鹿島アントラーズ」の「現役選手」ですが、「シーズン」前の「トレーニングキャンプ」の為に参加できないそうで、そのために「鹿島アントラーズ」「OB」が参加することが多くなったそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 01:56 PM |
「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」周辺及び「鹿嶋市商工会館」前で1月29日(日)に開催されます「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「東南部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」でもあります。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、67775人(男35072人、女32703人)で、「世帯数」27764世帯となっています。
 (平成28年(2016年)12月1日現在)

 「鹿嶋市」の「沿革」は、下記の通りです。

 「市制施行以前」

 1871年(明治4年)12月25日 (明治4年11月14日)廃藩置県により新治県に編入。

 1875年(明治8年)5月7日 新治県が分割され、茨城県に編入。

 1953年(昭和28年)5月18日 国道123号線(現在の国道51号線)と、国道124号線が制定。

 1970年(昭和45年)8月20日 鹿島線(鹿島神宮駅〜香取駅間)が開業。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が開業。

 1993年(平成5年)3月26日 茨城県立カシマサッカースタジアムが竣工。

 「市制施行以後」

 1995年(平成7年)9月1日 鹿島町が大野村を編入、市制施行し、鹿嶋市誕生。

 2002年(平成14年)   2002FIFAワールドカップをカシマサッカースタジアムにて開催。

 2005年(平成17年)   市制施行10周年。

 2015年(平成27年)   市制施行20周年。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」「平井海水浴場」(2016年3月22日のブログ参照)、「下津海水浴場(オリツカイスイヨクジョウ)」(2016年3月22日のブログ参照)があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川(ワニガワ)」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には潮来IC(イタコインターチェンジ)(潮来市内))の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の他の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(香取市、成田市、千葉市、銚子市等)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に潮来市、神栖市、鉾田市、行方市)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」である「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、昨年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、昨年、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、「各種」「記念行事」が催行されました。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島アントラーズ」(Kashima Antlers)は、「日本」の「茨城県」「鹿嶋市」、「神栖市」、「行方市」、「鉾田市」を「ホームタウン」とする、「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)に加盟する「プロサッカークラブ」です。
 「鹿島アントラーズ」の「クラブカラー」は、「ディープレッド」、「創立年」は1947年(昭和22年)、「ホームスタジアム」は、「茨城県立カシマサッカースタジアム」(収容人数・40728人)となっています。

 「鹿島アントラーズ」ですが、1947年に創立された「住友金属工業蹴球団」が「前身」で、「Jリーグ」「加盟時」の1991年(平成3年)10月に、「地元5自治体」(茨城県鹿島郡鹿島町・神栖町・波崎町・大野村、行方郡潮来町)と43企業の「出資」により「運営法人」「(株)鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立され、「現クラブ名」に改称したそうで、「Jリーグ」「創設時」からの「加盟チーム」(オリジナル10)のひとつです。
 「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」は「設立当時」の「5町」が合併して設立した「鹿嶋市」(旧・鹿島町、大野村)・「神栖市」(旧・神栖町、波崎町)・「潮来市」(旧・潮来町、牛堀町)に加え、2006年(平成18年)からは「行方市」、「鉾田市」が追加されました。
 なお、当時「ホームタウン」は「原則」として「1チーム」「1市区町村」でしたが、「鹿島」に限り「特例」で「周辺市町村」との「広域ホームタウン」が認められました。
 (現在は広域ホームタウンとしたクラブが複数あります。)

 「鹿島アントラーズ」の「ホームスタジアム」は、上記のように「茨城県立カシマサッカースタジアム」、「練習場」は「鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド」となっています。
 「鹿島アントラーズ」「チーム名」の「アントラー(antler)」は「英語」で「鹿の枝角」を意味し、「鹿島神宮」の「神鹿」にちなみ、「枝角」は「茨城県」の「茨」を「イメージ」しており、その鋭い「枝角」で「勇猛果敢」に立ち向かい「勝利」を目指すという「意味」も込められているそうです。
 「鹿島アントラーズ」「チーム発足時」から「クラブ」の「アイデンティティ」として「FOOTBALL DREAM」を常に掲げているそうです。
 「鹿島アントラーズ」の「クラブマスコット」ですが、「シカ」を「モチーフ」にした「しかお」と、1997年(平成9年)3月2日に「しかお」と結婚したという「設定」の「しかこ」で、1999年(平成11年)8月1日に「しかお」と「しかこ」の間に誕生したという「設定」の「アントン」だそうです。

 「鹿島アントラーズ」ですが、「国内」の「3大タイトル」(J1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯)において、延べ19回の「優勝回数」を誇り、これは「Jリーグクラブ」「最多」です。
 (タイトル個々でも単独で優勝回数最多)
 「鹿島アントラーズ」は、「Jリーグ」「史上初」となる「3連覇」(2007年〜2009年)、「Jリーグ」「初」の「国内三冠」(2000年)を達成した「クラブ」でもあります。
 「鹿島アントラーズ」は、「国際大会」においても「FIFAクラブワールドカップ」(2016年)において「準優勝」の「成績」を収めています。
 これは「FIFAクラブワールドカップ」で「アジアサッカー連盟」(AFC)「所属」の「クラブ」が「決勝」「進出」した「唯一」の「クラブ」でもあります。

 この度(タビ)「鹿嶋市」では、「鹿島アントラーズ」の「2016シーズン」の「明治安田生命J1リーグ」「優勝」及び「第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会」「優勝」を記念し、「優勝記念イベント」「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」を開催するそうです。
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」ですが、1月29日(日)11時00分から開催され、「優勝パレード」、「優勝報告会」、※「必勝祈願」(於・鹿島神宮)が行われるそうです。
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」の「日程」(予定)は、下記の通りです。

 11時00分 優勝パレード(往路) 鹿嶋市商工会館前〜

 11時30分 必勝祈願 鹿島神宮

 12時00分 優勝パレード(復路) 鹿島神宮〜鹿嶋市商工会館前

 12時30分 優勝報告会 鹿嶋市商工会館前

 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」開催に際し、下記の「交通規制のお願い」があるそうです。

 ・優勝パレードや優勝報告会などを安全に開催するために、会場周辺にて警備を行い、交通規制を行います。ご理解とご協力をお願いします。

 ・ご来場の際は、警察官、警備員、係員の指示に従ってください。

 ・交通規制範囲においては、規制時間内に車両の通行はできません。ご協力をお願いします。

 ・会場周辺は混雑が予想されますので、近隣住民へのご迷惑を最小限にするためにも、公共交通をご利用ください。

 ・会場周辺道路への自動車、オートバイ、自転車等の駐車・駐輪はご遠慮ください。

 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」の「観覧」にあたり、下記の「事項」についてご協力をお願いしています。

 ・安全に優勝記念イベントを開催するために、警備員、係員の指示に従ってください。

 ・観衆が集中することが想定されます。安全に十分留意し、観覧をお願いします。

 ・事前に場所取りなどを行うことはできません。(シートなどの場所取りは撤去いたします。)

 ・パレードの最中に、道路の横断はできません。

 ・コース沿道の民有地へは立ち入らないでください。

 ・ゴミは、各自でお持ち帰りくださいますようお願いします

 ・コース沿道に横断幕や看板等の設置はできませんので、あらかじめご了承ください。

 ・コース沿道や周辺でのドローン等(小型無人機)の飛行は、禁止になります。

 ・小雨の際、傘をさすと後ろの方の観覧の妨げになり、大変危険ですのでご遠慮ください。

 「鹿島神宮」周辺及び「鹿嶋市商工会館」前で開催される「優勝パレード」、「必勝祈願」、「優勝報告会」「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」詳細

 開催日時 1月29日(日) 11時〜

 開催会場 鹿島神宮周辺及び鹿嶋市商工会館前 茨城県鹿嶋市宮中

 問合わせ 鹿島アントラーズコールセンター 0299-82-5555(10時〜16時)
      アントラーズ・ホームタウン協議会事務局(鹿嶋市まちづくり政策課) 0299-82-2911

 備考
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」ですが、「小雨決行」となっています。
 「鹿島アントラーズ・優勝記念イベント」の「雨天時」の「態度決定」ですが、「当日」9時30分に態度決定となっており、「雨天中止」の場合には、「鹿島アントラーズ」「HP」にて周知するそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 04:25 PM |
「大寒禊(ダイカンミソギ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」「御手洗池」で1月22日(日)に開催されます「大寒禊(ダイカンミソギ)」です。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「御手洗池」ですが、「鹿島神宮」「境内」の「東方」に位置する「神池」で、「潔斎(禊)の地」、古くは「西」の「一の鳥居」がある「大船津」から「舟」でこの地まで進み、潔斎をしてから「神宮」に参拝したと考えられており、「御手洗」の「池名」もそれに由来するとされています。
 「御手洗池」には、「南崖」からの「湧水」が流れ込み、「水深」は1m程で、非常に澄んでおり、「御手洗池」に「大人」が入っても、その「水深」は「乳」を越えないといわれ、「御手洗池」は「鹿島七不思議」のひとつに数えられています。

 「大寒禊」ですが、1月22日(日)に執り行われる「行事」です。
 「大寒禊」は、古来より「鹿島神宮」「境内」にある「神職潔斎」の「池」である「御手洗池」で行われる「恒例」の「催し」で、「新年」の「決意」め新たに「鹿島立ち」を希望される方が多く集まります。
 「大寒禊」では、「冷水」に入り、「大祓詞(オオハラヘノコトバ)」を唱えて「心」も「体」も清め、「心身」の「調和」を図るために行われ、毎年「市内」はもちろん「県内外」からの「参加者」約150名が、「精神浄化」と、「一年間」の「無病息災」を祈るそうです。

 「大寒禊」「詳細」は、下記の通りです。

 日程   平成29年1月22日(日)

 場所   鹿島神宮御手洗池(集合は正面参道大鳥居脇「新仲家」)
      駐車場は臨時駐車場(茨城県鹿嶋市宮中1-13)

 参加費  3000円(昼食代含む)

 持参品  男性 白褌・白鉢巻・白タオル・草履(サンダル可)等 ※当日販売あり
      女性 白衣・白襦袢・白鉢巻・腰紐・白タオル・草履(サンダル可)等

 ※先着10名に貸出、別途電話問合わせ

 式次第

 8時00分〜8時50分  受付

 9時00分       正式参拝

 10時00分〜11時00分 禊 (於 御手洗池)

 11時30分      宮司講話 (於 新仲家)
           昼食・散会

 注意点

 ・受付は先着順となり、定員150人に達し次第締め切りとなりますのでご了承下さい。

 ・当神宮の判断による中止の場合、参加費は全額払い戻しいたします。

 ・参加中の事故・怪我・トラブルについては、応急手当または医療施設への搬送にて対応します。

 ・神道行法としての「禊」ですので、迷惑行為や不真面目な態度を認めた場合は参加をご遠慮いただくことがあります。

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」「御手洗池」で開催される「禊」の「催し」「大寒禊」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「大寒禊」詳細

 開催日時 1月22日(日) 10時〜(禊開始)

 開催会場 鹿島神宮御手洗池 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「大寒禊」は、「雨天決行」となっています。
 「大寒禊」ですが、「定員」150人に達しているため、「申込」は締め切っており、本年(2017年)の「参加」、「当日参加」はできませんので、ご注意下さい。

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| 地域情報::鹿島 | 10:00 PM |
「第42回鹿嶋市駅伝大会」(鹿嶋市)
 本日ご紹介するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」、「大野潮騒はまなす公園」、「カシマスポーツセンター」等で1月15日(日)に開催されます「第42回鹿嶋市駅伝大会」です。

 「鹿嶋市」は、「関東地方」「東部」、「茨城県」「東南部」に位置する「市」で、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)を擁する「文化都市」であるとともに、「鹿島臨海工業地帯」を擁する「工業都市」でもあります。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、67775人(男35072人、女32703人)で、「世帯数」27764世帯となっています。
 (平成28年(2016年)12月1日現在)

 「鹿嶋市」の「沿革」は、下記の通りです。

 「市制施行以前」

 1871年(明治4年)12月25日 (明治4年11月14日)廃藩置県により新治県に編入。

 1875年(明治8年)5月7日 新治県が分割され、茨城県に編入。

 1953年(昭和28年)5月18日 国道123号線(現在の国道51号線)と、国道124号線が制定。

 1970年(昭和45年)8月20日 鹿島線(鹿島神宮駅〜香取駅間)が開業。

 1985年(昭和60年)3月14日 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が開業。

 1993年(平成5年)3月26日 茨城県立カシマサッカースタジアムが竣工。

 「市制施行以後」

 1995年(平成7年)9月1日 鹿島町が大野村を編入、市制施行し、鹿嶋市誕生。

 2002年(平成14年)   2002FIFAワールドカップをカシマサッカースタジアムにて開催。

 2005年(平成17年)   市制施行10周年。

 2015年(平成27年)   市制施行20周年。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」「平井海水浴場」(2016年3月22日のブログ参照)、「下津海水浴場(オリツカイスイヨクジョウ)」(2016年3月22日のブログ参照)があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川(ワニガワ)」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には潮来IC(イタコインターチェンジ)(潮来市内))の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の他の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(香取市、成田市、千葉市、銚子市等)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に潮来市、神栖市、鉾田市、行方市)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」である「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、昨年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、昨年、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、「各種」「記念行事」が催行されました。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」と「鹿島灘」に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「大野潮騒はまなす公園」(2012年6月18日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」にある「市営公園」で、この「公園」は、1990年(平成2年)「春」に「茨城県」「大野村」の「村営公園」として開園しました。
 その後「大野村」は、上記のように1995年(平成7年)9月に「隣」の「鹿島町」に吸収合併され、同時に「鹿島町」は「鹿嶋市」となり、「大野潮騒はまなす公園」も「鹿嶋市」の「公園」になりました。
 「大野潮騒はまなす公園」は、「鹿島灘」に程近く、小高い「丘の上」にある「公園」で、「面積」約10ha(ヘクタール)の「敷地内」には、「プラネタリウム」や、「鹿嶋」の「暮らし」の「今昔」を展示する「郷土資料館」、「世界の名画」(複製)を集めた「美術館」が入っており、全体を360度の「パノラマ」で楽しめる「シンボルタワー」「宇宙展望塔」があり、「市民」の「コミュニケーション」の「場」として親しまれています。
 更に、「大野潮騒はまなす公園」には、「遊具」のある「子ども広場」や、「多目的広場」があり、「自然」の「沢」を利用し、「渓流」を散策できるようになっている「渓流散策路」、「弁天池」のある「水と憩いの広場」等あり、また「はまなす」や、「桜」、「梅」、「さつき」、「つつじ」等の美しい「花々」が「四季折々」に「目」を楽しませてくれるそうです。

 「カシマスポーツセンター」は、平成元年度から「スポーツ」を軸とした「まちづくり」「スポーツ健康の森 いきいきかしま21」をスタートし、その中核事業として「卜伝の郷運動公園事業」を据え、「シンボルスポーツ」(サッカー・武道)を活用した地域間交流の促進を図る中核施設として、「各種スポーツの全国大会」や、「スポーツイベント」の開催、「スポーツ情報の発信基地」、「健康づくり」等の「普及振興」の中心拠点として平成8年(1996年)に建設されました。
 「カシマスポーツセンター」の「施設内容」ですが、「メインアリーナ」、「サブアリーナ」、「柔道場」、「剣道場」、「弓道場」、「トレーニング室」、「大会議室」となっています。

 「メインアリーナ」は、「床面」は2046平方m(57.8×35.4m)、「競技」は、「バスケットボール」3面、「バレーボール」4面、「バドミントン」12面、「剣道」8面、「卓球」16面、「ランニングコース」230m(2回)、「観客席」は2002席(固定席2階・1474席、可動席1階・528席)、「仮設席」1440席、「最高室内高」は17.6mとなっています。
 「サブアリーナ」は、「床面」704平方m(32.0m×22.0m)、「競技」は、「バスケットボール」1面、「バレーボール」1面、「バドミントン」4面、「卓球」8面となっており、「最高室内高」は12.6mとなっています。
 「柔道場」は2面あり、「床面」は450平方m(30.0m×15.0m)、「師範席」(90平方m)、「剣道場」は2面、「床面」450平方m(30.0m×15.0m)、「師範席」(90平方m)、「弓道場」は「近的6人立て」、「射場面積」99平方m(9.0m×11.0m)となっています。
 「トレーニング室」は、「床面」360平方m(24.0m×15.0m)、「機器」は「トレーニング機器」(28機種40台)、「大会議室」は「床面」135平方m(7.5m×18.0m)となっています。

 この度(タビ)「鹿嶋市」では、「冬」の「鹿嶋市内」を駆け抜ける「鹿嶋市駅伝大会」を1月15日(日)に開催するそうです。
 今年(2017年)で「42回目」を数える「第42回鹿嶋市駅伝大会」ですが、「24kmコース」と、「10kmコース」の「レース」が行われるそうです。
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「主旨」は、下記の通りです。

 駅伝大会を通じて、参加者の交流及び体力の増進を図るとともに、市民の協力により大会を運営し、観戦者にもスポーツに親しむ機会を提供することで「スポーツ先進のかしま」を広く周知することを目的とする。

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「種目」ですが、「中学生男子の部」、「一般・高校生男子の部」、「中学生女子の部」、「一般・高校生女子の部」、「エンジョイの部(高校生以上)」となっています。
 ※一般・高校生男子の部の部については、女子の参加も認める。
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「一般・高校生男子の部」「24kmコース」、「中学生男子の部」「24kmコース」、「中学生女子の部」「10kmコース」、「一般・高校生女子の部」「10kmコース」、「エンジョイの部(高校生以上)」「10kmコース」の「コース」は、下記の通りです。

 「一般・高校生男子の部」「24kmコース」(6区間)

 1区 鹿島神宮(3.4km)

 2区 鹿嶋まちづくりセンター(豊郷まちづくりセンター)(3.4km)

 3区 鹿島学園(5.0km)

 4区 潮騒はまなす公園(2.9km)

 5区 鹿島大野駅(3.0km)

 6区 大野潮騒はまなす公園(5.7km)

 ゴール カシマスポーツセンター

 「中学生男子の部」「24kmコース」(8区間)

 1区 鹿島神宮(3.4km)

 2区 鹿嶋まちづくりセンター(豊郷まちづくりセンター)(3.4km)

 3区 鹿島学園(2.9km)

 4区 中野東小前交差点(2.1km)

 5区 大野潮騒はまなす公園(2.9km)

 6区 鹿島大野駅(3.0km)

 7区 大野潮騒はまなす公園(2.1km)

 8区 中野東小前交差点(3.6km)

 ゴール カシマスポーツセンター

 「中学生女子の部」、「一般・高校生女子の部」、「エンジョイの部(高校生以上)」「10kmコース」(5区間)

 1区 鹿島大野駅(2.1km)

 2区 青塚台(1.6km)

 3区 大野潮騒はまなす公園(2.1km)

 4区 中野東小前交差点(1.9km)

 5区 清水台(1.7km)

 ゴール カシマスポーツセンター

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「募集チーム数」は、「24kmコース」、「10kmコース」とも「先着」125チーム、「参加費」は「中学生」1チーム/3000円、「高校生」1チーム/4000円、「一般」1チーム/6000円となっています。
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「表彰」は、下記の通りです。

 1 各部門(エンジョイの部は除く)1位〜3位(賞状、副賞)

 2 区間賞は各部門(エンジョイの部は除く)の区間1位

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「プログラム」は、下記の通りです。

 6時45分〜7時30分 受付 カシマスポーツセンター北側

 7時45分 開会式 カシマスポーツセンター北側

 10時00分 スタート(24kmコース) 鹿島神宮

 10時00分 スタート(10kmコース) 鹿島大野駅

 12時00分 閉会式(10kmコース) カシマスポーツセンター北側

 12時45分 閉会式(24kmコース) カシマスポーツセンター北側

 「日本屈指」の「名社」「鹿島神宮」、「設備」が充実し美しく「広大」な「公園」「大野潮騒はまなす公園」、「地域間交流」の「促進」、「鹿嶋」の「スポーツ」の「中核施設」「カシマスポーツセンター」等、「冬」の「鹿島路」を駆け抜ける「伝統」の「駅伝大会」「第42回鹿嶋市駅伝大会」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「第42回鹿嶋市駅伝大会」詳細

 開催日時 1月15日(日) 6時45分(受付)〜(スタートは10時〜)

 開催会場 茨城県鹿嶋市内(上記のコース参照)

 問合わせ  鹿嶋市駅伝大会実行委員会事務局(鹿嶋市教育委員会スポーツ推進課内) 0299-82-2911

 備考
 「第42回鹿嶋市駅伝大会」の「態度決定」は、「大会当日」6時00分に行い、「FMかしま」(76.7MHz)(2011年5月15日のブログ参照)及び「大会HP」でお知らせするそうです。

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| 地域情報::鹿島 | 05:15 PM |
「白馬祭(オウメサイ)」(鹿嶋市)
 本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で1月7日(土)に開催されます「白馬祭(オウメサイ)」です。

 「鹿嶋市」は、「茨城県」「南東部」に位置する「市」で、「首都」「東京」から110km「東」に位置し、「鹿嶋市」の「市」の「東側」は「太平洋」「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に面していることから「海岸」「海水浴場」「平井海水浴場」(2016年3月22日のブログ参照)、「下津海水浴場(オリツカイスイヨクジョウ)」(2016年3月22日のブログ参照)があります。
 「鹿嶋市」の「西側」は「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)、「鰐川(ワニガワ)」に面し、「筑波山」を望むことができます。
 「鹿嶋市」は「JR総武本線」の「分岐線系統」である「JR鹿島線」や「東関東自動車道」(厳密には「潮来IC(いたこインターチェンジ)(潮来市内)」)の「沿線」であり、「交通網」が「茨城県」の「県庁所在地」「水戸市」でも「土浦」からでもなく、「千葉県」の「県庁所在地」「千葉市」から「順」に整備されたことから、「茨城県」の「他」の「地域」よりも、「国道51号線」を通じた「千葉県」「東部」(「香取市」、「成田市」、「千葉市」、「銚子市」など)との「関係」が深い「市」です。

 「鹿嶋市」は、「常陸国一宮」である「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「門前町」として栄えてきました。
 現在「鹿嶋市」は「となりまち」「神栖市」とともに「重要港湾」である「鹿島港」を中心とした「鹿島臨海工業地帯」を形成し、「新日鐵住金」の「企業城下町」として「鉄鋼企業」を中心とした「工業都市」として知られています。
 現在の「鹿嶋市」の「人口」ですが、67775人(男35072人、女32703人)で、「世帯数」27764世帯となっています。
 (平成28年(2016年)12月1日現在)
 また「鹿嶋市」は、「Jリーグ」「鹿島アントラーズ」の「ホームタウン」(他に「潮来市」、「神栖市」、「鉾田市」、「行方市」)の中心であり、「関東」でも「有数」の「サッカーの街」としても「有名」です。
 「鹿嶋市」は、1995年(平成7年)9月1日に「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」し、「鹿嶋市」となっています。
 「鹿嶋市」の「名称」ですが、「市制施行」の際、「佐賀県」の「鹿島市」と重複しないように、「島」の「異体字」である「嶋」に変えて「鹿嶋」としたそうです。
 「鹿島町」が「大野村」を編入し、「市制施行」した「鹿嶋市」ですが、昨年(2015年)で「市制施行20周年」を迎えており、昨年、「鹿嶋市」では、「市制施行20周年」を記念し、「各種」「記念行事」が催行されました。

 「常陸国一宮」「鹿島神宮」は、「茨城県」「鹿嶋市」に鎮座する「神社」で、「全国」に約600社ある「鹿島神社」の「総本社」です。
 「鹿島神宮」は、「千葉県」「香取市」に鎮座する「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「茨城県」「神栖市」に鎮座する「息栖神社(イキスジンジャ)」(2010年11月7日のブログ参照)と合わせて「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)と呼ばれ、江戸時代から「東国三社めぐり」として「人気」があったそうで、「初詣」には、「全国」から60万人以上が参拝し、「初詣」の「参拝者数」では「茨城県」2位を誇ります。

 「鹿島神宮」は、「茨城県」「南東部」、「北浦」(2011年12月6日のブログ参照)と「鹿島灘(カシマナダ)」(2012年6月16日のブログ参照)に挟まれた「鹿島台地」上に鎮座し、「鹿島神宮」は、「伊勢神宮」・「香取神宮」とともに、明治維新前に「神宮」の「名称」を使用していた「三社」のうちの「一社」です。
 「鹿島神宮」の「御祭神」「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」(建御雷神)で、「鹿島神」という「一般名称」でも知られており、「古事記」では、「伊弉諾尊(イザナギノミコト)」が「軻遇突智(カグツチ)」の「首」を切り落とした際、「剣」についた「血」が「岩」に飛び散って生まれた「三神」のうちの「一柱」とされています。
 「武甕槌大神」は、「香取神宮」の「御祭神」「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」とともに、「天孫降臨」に先立ち「国譲り」の「交渉」をしたといわれている「神様」で、「武甕槌大神」は、「武の神」として古くから「皇室」や「藤原氏」の「崇敬」を受け、さらに鎌倉時代以降は「武家政権」の「信仰」も得て、「社殿」・「楼門」・「宝物類」の「奉納」や「所領寄進」が繰り返されてきました。

 「鹿島神宮」「楼門」は、寛永11年(1634年)、「水戸徳川初代藩主」「徳川頼房」公が奉納した「楼門」で「日本三大楼門」のひとつとして知られています。
 「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、「三代将軍」「徳川家光」公の「病気平癒」を「徳川頼房」公が「大宮司」(神宮の最高責任者)「則広」氏に依頼し、「徳川家光」公が快方に向かった為に奉納されたとあり、「浅草」の「水戸藩下屋敷」で130余人の「大工」が切組み、「船筏」で運んで組み立てたそうです。
 「鹿島神宮」「楼門」ですが、昭和15年(1940年)の「大修理」の際、「丹塗り」とし、昭和40年代に「檜皮葺」の「屋根」を「銅板葺」としたそうです。
 また「鹿島神宮」「楼門」は、「鹿島神宮」「境内」「鹿島神宮の森」の「縁」の中にひときわ「朱色」が鮮やかな「楼門」で、「鹿島神宮」「楼門」の「扁額」は「東郷平八郎」「元帥」の「直筆」によるものだそうです。

 「鹿島神宮」「本殿」は、「三間社流造」、「向拝一間」で「檜皮葺」、「漆塗り」で「柱頭」・「組物」等に「極彩色」が施されています。
 風格ある「鹿島神宮」「本殿」は、「江戸幕府」「2代将軍」「徳川秀忠」公より奉納されたもので、「国」の「重要文化財」に指定されています。
 「鹿島神宮」「本殿」ですが、元和5年(1619年)の「造営」までは、現在の「奥宮」の「社殿」を使用されていました。
 「鹿島神宮」「本殿」の背後には「杉の巨木」の「御神木」が立っており、「御神木」ですが、「樹高」43m・「根回り」12mで、「樹齢」約1000年といわれ、さらに後方、「玉垣」を介した位置には「鏡石(カガミイシ)」と呼ばれる「直径」80cmほどの「石」があり、「神宮創祀の地」とも伝えられています。

 「鹿島神宮」「奥宮」ですが、1605年(慶長10年)に「鹿島神宮」「本殿」として奉納された「建物」で、「鹿島神宮」では場所を移して「奥宮」としたそうです。
 「鹿島神宮」「奥宮」周辺ですが、神秘的な「雰囲気」を醸し出しており、「鹿島神宮」「奥宮」には、「鹿島神宮」「御祭神」「武甕槌大神」の「荒魂」が祀られています。
 「鹿島神宮」「奥宮」「社殿」は、元々「江戸幕府」を開いた「徳川家康」公が、上述の「鹿島神宮」「本殿」として奉納したものを、元和5年に「徳川秀忠」公の「社殿」奉納に際し、「現在地」へ引移して「奥宮」「社殿」になったそうで、「鹿島神宮」「本殿」と比べると、「重厚さ」が感じられる「建物」となっています。

 「鹿島神宮」の「境内地」ですが、「東京ドーム」15個分(約70ha(ヘクタール))に及ぶ「大きさ」で、「鹿島神宮」の鎮座する「地」は「三笠山(ミカサヤマ)」と称され、この「境内」は「日本」の「歴史上」、重要な「遺跡」であるとして、「国の史跡」に指定されています。
 (摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)
 「鹿島神宮」「境内」(70ha)のうち約40haは、鬱蒼(ウッソウ)とした「樹叢」で、「鹿島神宮樹叢」の「大きさ」は、「東京ドーム」約15個分の「広さ」を持ち、「鹿島神宮樹叢」として「茨城県指定天然記念物」に指定されています。
 「鹿島神宮樹叢」には約800種の「植物」が生育し、「鹿島神宮」の長い「歴史」を象徴するように「巨木」が多く、「茨城県内」では随一の「常緑照葉樹林」になっており、木漏れ日の中を散策するなど、「森林浴」にも最適な「スポット」となっています。
 その他「鹿島神宮」「境内」には、透き通る「湧水」で「禊(ミソギ)」も行われる「御手洗池」や、「鹿園」など、多くの「見どころ」があります。

 「鹿島神宮」の「創建」ですが、2674年前の「初代」・「神武天皇」「御即位」の「年」にあたり、「神武天皇」は、「東征」の「途上」における「大神」の「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」による「守護」に感謝され、「鹿島の地」に「大神」を勅祭されたそうです。
 これに先立つ神代の昔、「武甕槌大神」は「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」の「名」を受け、「葦原中国」といわれた「我が国」の「国譲り」から「国造り」まで、その「建国」に大いにその「御神威」を発揮されました。
 「鹿島神宮」は、その「御威徳」から「武の神」として崇められ、日出づる「東方」に坐します「鹿島立ち」の「御神徳」によって、「事始め」、「起業」、「開運」、「旅行交通安全の神」、「常陸帯」(2012年1月13日・2011年10月16日のブログ参照)の「故事」によって「安産」、「縁結び」の「神」を仰がれています。

 「鹿島神宮」「文化財」ですが、「布津御霊劔(フツノミタマノツルギ)」と称される「長大」な「直刀」が「国宝」に指定されているほか、「鹿島神宮」「境内」は「国」の「史跡」に指定され、「本殿」・「本殿」・「楼門」など「社殿」7棟が、「国」の「重要文化財」に指定されており、そのほか「鹿島神宮」は、「鹿」を「神使」とすることでも知られています。
 「鹿島神宮」は、古くから「朝廷」から「蝦夷(エゾ)」に対する「平定神」として、また「藤原氏」から「氏神」として崇敬され、その「神威」は中世の「武家の世」に移って以後も続き、「歴代」の「武家政権」からは「武神」として崇敬され、現代も「鹿島神宮」は「武道」で篤く信仰されています。

 「鹿島神宮」では80以上もの「年中行事」の中では「祭頭祭」(2016年3月8日・2015年3月8日・2014年3月5日・2013年3月6日・2012年3月2日・2011年3月6日のブログ参照)、「神幸祭」(2012年8月26日のブログ参照)、また12年に一度「午年」ごとに行われる「式年大祭御船祭」(2014年8月31日のブログ参照)が特に「有名」で、2014年9月1日(月)には、「3日間」に渡って「御船祭」が催行されています。
 (「式年大祭御船祭」「前日」8月31日(日)午後には、「御座船清祓式」(2014年8月29日のブログ参照)が執り行われました。)

 「白馬祭(オウメサイ)」ですが、「鹿島神宮」で執り行われている「神事」で、「鹿島神宮」に祀る「神様」の「お目覚め」の「祭事」です。
 「白馬祭」は、「新年」に「白馬」を見ると一年間の「邪気」を祓うといわれる「信仰」と、「皇祖」以下「祖霊」や、「諸神」をまつる「祭儀」となっています。
 「白馬祭」では、「蹄」の「音」高く「鹿島神宮」「神殿」の前を駆け抜け、「白馬祭」が始まると、「蹄」の「音」が「鹿島神宮」「境内」に響き渡るそうです。
 また「白馬祭」ですが、「鹿島神宮」「境内」に「神馬」が疾走する、「勇壮」な「鹿島立ち」の「神事」であり、「白馬祭」は「日本三大白馬祭」のひとつに数えられ、約750年の「歴史」を持つ「祭事」でもあります。

 「白馬祭」「当日」ですが、「時間」になると「鹿島神宮」「楼門」の方から、「鹿島神宮」「拝殿」の方(馬のいる「稲荷社」の方)に「神職」が「御神馬(ゴシンメ)」(白馬)を迎えに行き、「鹿島神宮」に「御神馬」(白馬)が入場します。
 「御神馬」(白馬)が入場すると、「鹿島神宮」「拝殿」前の「広場」にて、「宮司(グウジ)」が「祝詞(ノリト)」を読み上げ、「広場」では、「御神馬」(白馬)がグルグルと歩くそうです。
 また「白馬祭」「当日」、「鹿島神宮」から「甘酒」と、「七草粥」の「振る舞い」も行われるそうです。

 「関東屈指」の「名社」「鹿島神宮」で開催される「御神馬」(白馬)を見ることで、1年の「邪気」が祓われるという「神事」「白馬祭(オウメサイ)」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「白馬祭(オウメサイ)」詳細

 開催日時 1月7日(土) 18時〜20時

 開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

 問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209

 備考
 「白馬祭(オウメサイ)」では、「御神馬」(白馬)が歩くところに「ハンカチ」(小石)等を置き、「御神馬」(白馬)に踏ませるそうです。
 「白馬祭」の「御神馬」(白馬)に踏まれた「ハンカチ」、「小石」を持つと「心願」が叶うと伝えられており、「ハンカチ」、「小石」は、「恋愛成就」の「お守り」となる「民間信仰」もあるそうです。

| http://www.inubou.co.jp/blog/index.php?e=3275 |
| 地域情報::鹿島 | 10:12 AM |

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